藤井神社の山車

藤井神社の山車

藤井神社の山車(中組)
市文化財に指定 藤井神社の山車



藤井神社の三台の山車

尾張大府横根の藤井神社には三台の山車がありますが、言い伝えによりますと、広州長浜から譲り受け、垂井を経由して持ち来たらされたものとも言われています。

中組の山車の制作年代は、江戸時代の安政6年と考えられています。これは裏板に墨書きが残されていたことから信頼性が高く、長浜から来たと言う説とは一致しないようです。

この三台の山車はいずれも市の文化財として指定されている素晴らしいものです。

この三台の山車は、藤井神社に近い三つの地域で管理されています。

石丸組、南組、中組という三つの組です。一つの地域が団結して組を作っています。

一般に「山車」と言われていますが、山車の語源は、神殿や境内の外に出す出し物であるからとする説や山の形を模したものとの説などいろいろあります。

山車の内部

山車の中
山車の内部

山車が引かれて動いている間、笛太鼓の音が聞こえてきます。

どこから聞こえてくるのか最初は分かりませんでしたが、どうやら山車の中から聞こえてきているようです。

許可を得て、中組の山車の内部を見せていただきました。

背の高さあたりの幕を左右に開いて中を見せてもらったのです。

畳4〜5枚くらいの部屋になっていて、大きな太鼓や小太鼓があり、それぞれを打ち手が叩いています。

笛の人も大勢乗っていますが、もはや座る余地はありません。全員立ちっぱなしのようです。

長い道中を大変な努力だと思いました。


長浜の山車

長浜の山車は、天正年間の初め、時の長浜城主羽柴筑前守秀吉が男子誕生を祝って民に下された資金をもととして、城下で山車を作って引き回したものと言われます。

この時作られたのは十二台でした。

現在でも長浜では、長浜の曳山祭として続けられています。

長浜から藤井神社のある横根に、その山車が移譲されたという直接の記録は見つかっていませんが、長浜から垂井に移譲されたことは明らかになっています。

長浜から来た垂井の山車は、舞台が引き出しのようにせり出して、子供歌舞伎がその上で舞うことが出来ました。


横根藤井神社の山車も、そのようなせり出し式の舞台が昔はあったと考えられます。

ただ、何回かの改造に伴い、現在はその舞台は取り払われ、前棚には素晴らしい彫刻が飾られています。

この改造は、三番叟と関連があります。

藤井神社には三番叟がありますが、そのスケールはとても大きく、子供歌舞伎を演じる山車の舞台とは比べ物になりません。

そのような三番叟を奉納することができるため、山車の舞台は必要とされず、結局取り払われたものと考えられています。

この三番叟は、山車とは別に大きな舞台を設置して奉納されます。


山車は山車蔵に収納保存してあり、祭り直前に山車の組立が行われます。

高山祭の屋台は、組み立てたまま屋台蔵に常時保存されていますが、ここ、藤井神社に奉納される山車は、分解された状態で保存されます。

芯柱のみ残っている状態で山車蔵に入っているわけです。

屋根、彫刻、などすべての部分は別の収蔵庫に収められています。

祭り直前に、この部品を取り出し、組立が行われます。

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