大府

大府

大府村

大府市は、愛知県の知多半島の北端に位置する市です。

自動車関連の企業を中心に、金属や繊維、食品等の企業の本社や主要工場が数多く立地する工業都市です。

「大府村」から「大府町」になり「大府市」となってきたのですが、そもそも「大府」という地名の起こりは次のようです。

その昔、村人たちが都の高官、七津大夫(ななつだゆう)という人を、「大夫さま」(たゆうさま)といっていましたが、漢字で書いて「大夫」となり、これが「おおぶ」とよばれるようになりました。

その後、伊勢神宮の大符にちなんで「大符村」に改称したといわれます。

これがいつからか「大府村」になったようです。(符と府の違いに注意)

室町時代から戦国時代にかけては、このあたり一帯も戦場になったことが、桶狭間や石ヶ瀬の古戦場、そのほか城や砦の跡が地名として残っていることから容易に想像できます。

大府市

室町時代から戦国時代にかけては、この地方一帯も戦場になっていました。

桶狭間や石ヶ瀬の古戦場、そのほか城や砦の跡が点在し、地名としても残っています。

明治22年以前は16の地域に分かれていましたが、このころから合併が進み、明治39年には7つの地域にまでなってました。

1906年(明治39年)5月1日 - 知多郡の6つの村が大府村に合併し、おおきな大府村となり、現在の市域を形成しました。

1915年(大正4年)11月1日 - 村から町制施行となり、大府町となりました。

1970年(昭和45年)9月1日 - さらに市制施行にともない、愛知県下24番目の市、大府市として誕生しました。

横根藤井神社の起源

尾張の大府、そのなかの横根に藤井神社があります。

この藤井神社はいつごろ創建されたのか定かではありませんが、少なくとも鎌倉時代には既に大明神として祀られていたことが証明されています。

大府市は古代から近世まで尾張国に属し、古代から製陶国として全国的にも有名でした。

「延喜式」にも「踐祚大嘗祭」に陶器を献納する国として記載されています。

この陶器は行基焼として生産され、大府市内では行基焼窯が多数現存しています。

明治19年、中村地区から古い陶器の壷が発掘されました。

それは、高さ21cmの短頸壺で、鎌倉時代の行基焼きと考えられます。

この壷の肩の部分に「藤井宮大明神御酒瓶子」という文字が刻まれてました。

このことから、鎌倉時代には、すでに藤井神社が存在していたことが証明されたわけです。

この肩書きが貴重であり、、県文化財に指定されています。