大府市誌の延命寺大府市誌の延命寺
大府市誌に記載されている延命寺大府市誌 第六編 第三章 第一節 宝竜山延命寺より宝竜山延命寺 大府町ヲシロ五六番地に所在する。 蜜蔵院(春日井市熊野町)の末寺。 当寺に所蔵する「由緒取調」などによれば、盛祐(じょうゆう)上人により鎌倉時代に開創されたようであるが、その草創年次は不詳である。 室町初期には、藤井神社の別当寺として栄え、七堂伽藍をはじめ山内に塔頭(たっちゅう)を擁(よう)していた。 中期以降には衰退した。 しかし、享禄四年(一五三一)、比叡山より慶済が晋住(しんじゅう)して中興開山となり、昔日のごとく復興した。 天文二年(一五三三)七月には、後奈良天皇より「寶龍山」の勅額を賜わった。 二世仙慶も比叡山より来錫(らいしゃく)し、三世真慶は緒川城主水野家より出家した人であった。 そのため、天文一一年には横根城主梶川五左衛門が田畠を寄進し、続いて緒川城主水野宗兵衛ならびに水野内匠からも寺領・山・屋敷などの寄進があり、さらに尾張藩より二〇石三斗九升四勺の寺領を受けるなど、手厚い外護(げご)が加えられたところから、高く法燈を揚げたものであろう。 なお、明治維新まで、横根村・大府村・半月村・猪伏村・追分村・村木村・桶廻間村・白沢村・板山村など九か村の神社(四五社)の遷宮導師を勤め、まさしく神仏習合の姿であった。 しかし、明治期の神仏分離令によって、その関係は廃絶された。 また、当時は、多くの古文書・墨跡などを所蔵し、その歴史の威容を誇っている。 寺宝 刺繍普賢菩薩像一幅(県指定文化財) 室町時代 墨書大般若経(市指定文化財) 南北朝〜室町時代 木造阿弥陀如来坐像一体 南北朝時代 勅額 室町時代 文殊桜門(市指定文化財) 江戸時代 |