俳句

俳句

俳句

「俳句と言うのは、五・七・五のモーラから成る日本語の定型詩である」と、定義づけされます。

モーラと言うのは、「韻律」と言いますが、簡単に言えば「拍」のことです。

例えば、「かきくえば」と言うのは5拍ですから5モーラです。

「おちゃのきは」も、5拍ですから5モーラです。

俳句と言うのは、五モーラ、七モーラ、五モーラで作られた日本語の詩であるといえます。

俳句の特徴

五・七・五の「韻律」(モーラ)で詠まれる定型詩であること。

基本として「季語」を入れること。

一か所、必ず「切れ」があること。

余韻を残すこと。

などが俳句の特徴と言えます。

韻律

俳句は定型詩であり、五・七・五の韻律が重要な要素となっています。

この韻律は開音節という日本語の特質から必然的に成立したリズムであって、俳句の制約とか、規則とまではいえません。

五の部分が6音以上に、または七の部分が8音以上になる場合も許されることが有るからです。

このような状態のことを字余りといいます。

季語

俳句にとって、季語は大きな役割があります。

季語と言うのは、季節を現す言葉です。

季語を必ず入れなければならないとする季語絶対派が多いのですが、

季語よりも詩の季節感が大切だとする「季感」派もあります。

無季でもよいとする無季容認派、さらには無季俳句こそが本来の俳句であるという「無季」派まで、さまざまな考え方があります。

切れと余韻

最初に詠まれる俳句は特に切れが大切だと言われます。

上手く切れた発句は「切れがある」と評価されます。

「切れ」の例をあげてみます。

「古池や蛙飛びこむ水の音」では、「古池や」の後で一呼吸、句の流れが切れています。

これは、切れ字の「や」による効果です。

読者はその一瞬の休符の合間に、作者を取り巻く環境や作者の思想・感情・情念・背景などを勝手に想像してしまう仕掛けになっています。

このテクニックが「切れ」と呼ばれ、十七文字という限定された語数で、言葉に形と質感を与える効果を持ち、季語とあいまって句に余韻をかもしだしています。

川柳との違い

川柳も俳句と同じく五・七・五の定形詩ですが、発句が独立した俳句と違い、川柳は付け句を独立的に鑑賞するようになっています。

川柳には「季語」が必要ない。

川柳には「切れ」が必要ない。

川柳では自分の思いをストレートに言い切り、「余韻」を残す必要がない。

などの点において俳句と異なっています。