天満宮

天満宮

菅原道真と御霊信仰

天満宮は菅原道真を祀る神社です。

菅原道真を祀る神社には、「天満神社」、「菅原神社」、「天神社」などいろいろの社名があり、「天神」、「天神さま」、「天神さん」などとも呼ばれます。

御霊信仰(ごりょうしんこう)とは、人々を脅かすような天災や疫病の発生を、怨みを持って死んだり非業の死を遂げた人間の「怨霊」のしわざと考えてこれを畏れ、「御霊」とすることにより祟りを免れ、平穏を実現しようとする日本の信仰のことです。

道真は、代々学者の家系に生まれ、学者、文人、政治家として卓越した能力もった人物でした。

幼少の頃から文才に優れ、18歳で律令制度の「進士」の試験に合格、23歳でさらに上級の「秀才」に合格して文章博士となっています。

以後、順調に出世し、右大臣にまで上り詰めました。

ところが、そこで政治的な暗闘や抗争の渦に巻き込まれてしまいました。

そうして、悔しい思いのまま、九州の太宰府へと左遷されてしまったのです。

道真が亡くなった頃から、都では天変地異が続くようになり、まず道真を悪く言った張本人の藤原時平が39歳で急死しました。

疫病がはやり、醍醐天皇の皇太子が死亡し、次の皇太子も数年後に亡くなり、人々は菅公の怨霊の祟りとして恐れました。

また、宮廷の紫宸殿に落雷があり、死傷者が多数出たことがあり、これは道真の怨霊のなしたことであると考えられました。

このようなことから道真は雷神と結びつけられることになり、天の神、「天神」とされ、天に満ちる神、「天満」と言われるようになりました。

天満宮と梅

道真の異例の出世が、権力者藤原氏にねたまれたことから、無念にも失脚し、太宰府へ左遷されてしまいました。

都を去るとき、道真は

  「東風吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」

と詠みました。

道真は牛を可愛がったり、梅を愛したりしていましたが、その梅が道真を慕って一夜にして京都から太宰府に飛んできたという"飛び梅"の伝説は有名です。

道真は、太宰府に赴任して2年後に無念の思いを残しつつ亡くなっています。

太宰府天満宮はその場所に作られたのですが、御紋が梅になっており、庭にもたくさんの梅が植えられているのも道真が梅をこよなく愛していたからです。

天満宮と天神社

日本の各地で菅原道真を祀る神社が作られ、多くは天満宮と称せられました。

道真を「天神」として祀る信仰を天神信仰といいます。

これは、政治的不遇を被った道真の怒りを静め、その土地の平穏を願うために祀られるようになったものです。

しかし、明治から昭和にかけての神道国家管理時代は、「宮」号は祭神が基本的には皇族であり、かつ勅許が必要とされたため、「天満宮」と称していた神社も「神社」・「天神社」・「天満神社」などと改称させられました。

大府横根の藤井神社における天満宮もおそらく例外ではなかっただろうと考えられます。

社殿よりも明らかに新しい感じの社名額には「天神社」としてありますが、つい最近まで使われていた神社のぼりには、「天満宮」と記されていました。

このことから、藤井神社の「天神社」も、同時期に天満宮から改称させられていたものと考えられるのです。