国家神道

国家神道

国家神道の非宗教説

国家神道とは、明治維新から第二次世界大戦までの日本で、政府の政策により成立していた国家宗教ですが、「国家神道」は宗教ではないとする説と宗教であるとする説があります。

非宗教説は敬神を国民の義務とし、この義務は道徳のひとつであって、軍隊や官公庁などにおいての敬神行為は宗教行為ではないとする考え方です。

政府当局の見解はこのように、神道は国家の宗祀であっていわゆる「宗教」ではないとしていました。

大日本帝国憲法では文面上は信教の自由が明記されていましたが、政府は「神道は宗教ではない」という公権法解釈にもとづいて、神道・神社を他宗派の上位に置く事を公式見解としていました。

政府による「神社崇拝」の国民への奨励の度合いは時代によって異なっています。

官国幣社は内務省神社局が所管し、新たな官国幣社の造営には公金が投入されています。

村社以上の社格の神社の例祭には地方官の奉幣が行われ、一種の国教的な制度とされたこともあります。

「神道」の道

「神道」というのは神を祀る行為だと思っていましたが、もう一歩突っ込んで見ると、人の道と関係していることが分かります。

そもそも「神道」とは、人で在る為の道である「人道」と呼応する言葉なのです。

「神道」とは、神で在る為の道(惟神〔かんながら〕の道)といえます。

「道」とは道理や倫理等、物事や人などの在るべき在り方を意味しています。

この点「神道」は、一神教の絶対神崇拝を中心とした宗教観とは、趣を異にしています。

私事

私事の経験で申し訳ありませんが、仏教においては色々の教えが教えられ、ああなるほどと思うことが多くあります。

それに対して神道では、そのような機会は極まれなことです。

精神を集中し、自ら、今自分はどうあらねばならないかを考える機会が多いように思います。

私ども横根の藤井神社では、本殿の方では天照大神と須佐之男命をお祀りしていますが、天神社では菅原道真を祀っています。

国や地域の平和と発展を願い、災いのないことを願っていると私は思っています。

神に感謝するのは良いとして、単に神頼みだけでなく、自らの行動は如何に有るべきか真剣に考えなければならないと反省しています。