行基焼き

行基焼き

行基焼きというのは、仏教の僧侶行基が窯を築き、須恵器を焼いて皆にその作り方を教えたことに始まります。須恵器はそれまでよりも高温で焼かれ、陶器に近くなってきています。

行基

行基は、日本の奈良時代の高僧です。

677年4月に生まれ、僧侶を国家機関と朝廷が定め仏教の民衆への布教活動を禁じた時代に、禁を破り畿内を中心に民衆や豪族層など問わず広く仏法の教えを説き人々より篤く崇敬されました。

また、道場や寺院を多く建立しただけでなく、溜池15窪、溝と堀9筋、架橋6所を、困窮者のための布施屋9ヶ所等の設立など数々の社会事業を各地で成し遂げました。

須恵器

須恵器の起源は朝鮮半島にあり、初期の須恵器は半島のものと区別をつけにくいほど似ていますが、用語としては日本で製作された還元焔焼成の硬質の焼物だけを須恵器といいます。

朝鮮半島のものは、普通名詞的に陶質土器と呼ばれるか、伽耶土器・新羅土器・百済土器などもう少し細分した名で呼ばれています。

須恵器は窯で焼かれ、1100℃程度の高温で焼かれます。行基は窯を築き、焼き方を付近の人に教えました。

須恵器以前は野焼きであったため、800℃程度でした。

藤井神社の瓶子

発掘された藤井神社の瓶子は、鎌倉時代に焼かれた行基焼き、須恵器とされています。

また、考古学用語としては須恵器が一般化していますが、20世紀前半までは祝部土器(いわいべどき)と呼ばれることがありました。

藤井神社の瓶子も、神前にささげる御神酒の入れ物として、須恵器で作られていたことが納得できます。