江戸時代の紅

江戸時代の紅

江戸時代の紅 : 小町紅

江戸時代の紅、小町紅は、当時の口紅のトップブランドで、良質ゆえに非常に高価でした。

一般庶民が容易に購入できる口紅ではなく、主な購入者は御殿女中や豪商の婦女子、花柳界の遊女といった粋筋の人々でした。

江戸時代の口紅は、紅花の花弁に含まれるわずかな赤色色素を抽出し精製したもので、現在の油性基材の口紅とは異なっています。

口紅の製造は、紅屋または紅染屋が紅染めの兼業として行う形態が主であり、小間物屋や薬種問屋といった化粧品を扱う店では、紅屋から仕入れた口紅の卸売りを行っていました。

抽出・精製した口紅は、陶磁製の猪口や皿、あるいは貝殻などの内側に塗った状態で販売されていました。

先般、新宿区の内藤町遺跡から「小町紅」と書かれた肥前系磁器の紅猪口(推定年代1780〜江戸時代)が発掘されています。

天保2年(1832)に出版された、当時のショッピングガイド誌『商人買物独案内』(京都編)には、「御用小町紅」として京都四条通麩屋町東の「紅平」(紅屋平右衛門)の名が収載されてます。

同書には、紅平以外にも「小町紅」を取り扱う店として、祇園町の高島屋喜兵衛、伊勢屋五三郎、美濃屋吉郎兵衛の店などを載せています。

この書より先に江戸で出版された『江戸買物独案内』によりますと、江戸でも近江・伊勢系商人の店で「小町紅粉」を扱っていたことが確認されます。

口紅の製造の主体は長く京都にあり、江戸ではもっぱら下り物を扱っていました。

江戸で口紅の製造・販売が行われるようになるのは、江戸時代後期以降と考えられています。

良質な紅は、容器の内側に塗り自然乾燥させると、赤色ではなく笹色(玉虫色)の輝きを放ちました。

『江戸買物独案内』の中に「笹色飛光紅」を扱う「玉屋」(玉屋善太郎の店)という紅問屋の広告が収められています。

玉屋はもともと京都の紅問屋で、小町紅の販売を行っており、江戸の日本橋本町二丁目に出店していたのです。