七津大夫

七津大夫


大府市の「大府」と言う名前は七津大夫の「大夫」に由来することについてお話しします。

都の高官七津大夫


昔のことですが、まだ武士の勢力争いや、天皇家の後継のごたごたなど、都は荒んでいました。

大夫というのは朝廷における官職の位を言うのですが、中納言は大夫と言われました。

そんな荒んだ都に「七津」という中納言、「七津大夫」がいました。

七津大夫は今でいう左遷のようなものですが、遠く離れた尾張の国のこの地を治めることになりました。

しかし美しい景色や農家の人々の心優しい姿に感動し、そこに大きな屋敷を立てて喜んで住むことにしました。


大夫という土地


七津大夫は都の高官であったにもかかわらず、田んぼに水を引くための水路の作り方を教えたり、病気を治すためにお祈りをしてくれるなど、とても優しい人でした。

そこで、人々はその方を「たゆう様」と言い、屋敷のあるところを「たゆう」、「大夫」と呼ぶようになりました。

そうしてその村のことを「大夫」と言ったわけです。


大府


七津大夫のことを、「大夫様」と言い、大夫様のいる村を「大夫村」、「大夫」と書いたわけです。

時の流れとともにその「大夫」は、やがて「大符」に変化しました。

この地は三河や尾張という地方で言えば、尾張にありました。ですから、尾張の「大符村」になったわけです。

付近の村の合併などによってどんどんその行政区域は大きくなり、やがて現在の「大府市」となってきたのです。

大府市の名前の元は七津大夫の「大夫」だったのです。