軍神像

軍神像


藤井神社境内右手の一番奥に石像があります。

これは、乃木大将を神とした軍神像に間違いないものと考えられます。

建立は昭和10年前後ではなかろうかと推定されます。

軍神について深く調査されているホームページ「戦争遺跡の部屋」でもそのように述べておられます。

なぜ軍神の像が神社にあるのでしょうか。

軍神とは戦勝や武運長久を祈願すれば、それを聞き届けてくれるといわれる神だからです。

戦国時代の軍神としては上杉謙信がありますが、明治以降の日本で、軍神と称される軍人としては乃木希典大将、東郷平八郎元帥のほか数名あります。
軍神像



上の石像によく似ているのが下の写真です。

この写真はwikipediaの発表によるものですが、乃木希典の写真です。

明治から昭和の初めにかけて、軍神像は多くの場所に作られました。

神社はいうに及ばず、公園や観光名所などにも作られています。

その多くが乃木大将を軍神としています。

しかし終戦後その多くは撤去されました。

藤井神社のこの軍神像は、目立たぬところだったために残されたのは幸運だったのかもしれません。
乃木希典



これは台座の正面に刻まれている書です。

最初の一文字は「盡す」(つくす)という文字だと思います。

「忠をつくし、国にむくいる」ことを誓います、というような意味ではないでしょうか。

乃木希典は一度自決しようとしましたが、明治天皇に止められました。

「今は死んではならぬ。私が死んでからにしてください」と。

事実、明治天皇が崩御された後、妻とともに自決しています。

「おともします」という意味だったのかもしれません。
台座の書



台座の後面にはかろうじて数文字が残っています。

「額田郡岩津町」ではないでしょうか。

岩津村ではなく、岩津町と考えられます。最後の部分が、寸ではなく丁に見えるからです。

この地域は江戸時代末期、岡崎藩領、奥殿藩領、寺社領などでしたが、明治11年にも合併があり、上細川村と下細川村が合併し、細川村となっています。

明治39年 岩津村、大樹寺村、奥殿村、細川村が合併し、岩津村となり、昭和3年 町制施行によって、岩津町となっています。

この後面の文字は、岩津町から移設されたものであることを示しているようにも思われますが、確かなことは分かりません。
台座左